20世紀日本人名事典 「新井奥邃」の解説 新井 奥邃アライ オウスイ 明治・大正期の宗教家,教育者 生年弘化3年5月5日(1846年) 没年大正11(1922)年6月16日 出生地陸奥国仙台(宮城県仙台市) 別名通称=新井 常之進 経歴明治維新前後榎本武揚の軍に従って各地を転戦。函館でロシア人牧師ニコライと会って入信し、森有礼らの渡米に際して随行した。アメリカで牧師ハリスの門に入り、以後30年その農場で生活し、明治33年帰国。帰国後は講和舎を起して舎監となり、学生などの教育に従事。ひたすら修道に精進し、37年「信感」を刊行。無所属のキリスト教徒として、以後も「雑録」など多くの小冊子を刊行した。「奥邃広録」(全5巻)、「新井奥邃著作集」(全10巻 春風社)がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新井奥邃」の解説 新井奥邃 あらい-おうすい 1846-1922 幕末-大正時代の武士,宗教家。弘化(こうか)3年5月5日生まれ。陸奥(むつ)仙台藩士。戊辰(ぼしん)戦争で箱館にいきニコライにあって師事する。明治3年森有礼(ありのり)に随行し,アメリカでキリスト教教団新生社にはいる。32年帰国。のち東京の謙和舎で聖書を講じた。門人に田中正造,高村光太郎らがいる。遺著に「奥邃広録」。大正11年6月16日死去。77歳。通称は常之進。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by