新井浦(読み)あらいうら

日本歴史地名大系 「新井浦」の解説

新井浦
あらいうら

[現在地名]館山市館山

かがみヶ浦(館山湾)に臨む浦方で、館山町北東に位置し、海岸部は楠見くすみ浦に続く。港町商人町として栄え、新井町ともよばれた。里見義康による館山城下建設では同城下の外港と位置付けられていたと思われる。慶長六年(一六〇一)四月一四日、義康は館山城下の商業政策を打出し岩崎与次右衛門らに対して法度条々を発布した(丑四月一四日「里見義康法度」岩崎家文書)。これによれば他国の商船は「新井町へ着候而可致売買候」とされ、坂田ばんだ浦・波左間はざま浦からうち(現天津小湊町)まで、安房一帯の諸津において他国の商人が投宿して商売することを禁じている。城下発展のため商船を当浦へ集中させることが目的で、また里買いも禁止している。義康の跡を継いだ忠義も城下における商活動に対して保護・奨励策をとり、当町の与次右衛門をはじめとして「楠見新井町」や長須賀ながすか町・北条ほうじよう町の商人中に触書を出している(慶長一一年八月一五日「里見忠義法度」岩崎家文書)。なお与次右衛門はこれより前の天正一二年(一五八四)しろ山西麓の海に面した「沼之郷」に屋敷を与えられており(四月二八日「里見義頼充行状」同文書)、すでに当地一帯において諸国廻船を相手に商業活動をしていたことがうかがわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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