館山町(読み)たてやままち

日本歴史地名大系 「館山町」の解説

館山町
たてやままち

[現在地名]館山市館山

近世、安房国の交通・経済の拠点の一となった町場で、真倉さなぐら村のうちに形成された。東西に走る往還(鹿野山道)、および同往還から分岐して新井あらい浦や楠見くすみ浦に通じる数条の横道に沿って発達し、館山上町・同中町・同下町の三ヵ町からなる。一般にこの三ヵ所を総称して館山町とよぶが、当町の外港として機能した新井浦・楠見浦、および浜上須賀はまうえすか村・岡上須賀おかうえすか村の浦方を合せた三町四浦を館山七ヵ所とよんで一体の町場とみることが多かった。近世初頭、館山城主里見氏城下町として開かれ、鹿野山かのうざん道の継立場でもあった。「房総里見誌」は「上ミ中カ下モと町割して、四民とも日々群衆して繁昌す」と記してその殷賑振りを描写するが、慶長一九年(一六一四)里見氏は伯耆倉吉くらよし(現鳥取県倉吉市)移封、館山城も廃城となったため、当町は城下としての機能を失った。しかし、引続き外港を控えた継立場として、安房国における諸物資流通の拠点という地位は保ち続けていた。

寛永五年(一六二八)の町屋敷水帳(真倉区有文書)では屋敷筆数一五一で、屋敷計五町六反余、この分米五六石余、大工五・船大工二・紺屋三・鍛冶二などがみえる。これは当町のものと思われるが、あるいは新井浦など他の真倉村内の町場も含んだか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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