長須賀村(読み)ながすかむら

日本歴史地名大系 「長須賀村」の解説

長須賀村
ながすかむら

[現在地名]木更津市長須賀・朝日あさひ一―三丁目・清見台きよみだい一―二丁目

永井作ながいさく村の北西小櫃おびつ川下流域に位置し、房総往還が通る。千葉市長徳ちようとく寺梵鐘の宝徳元年(一四四九)閏一〇月二五日付銘文に「総州路菅生庄中須賀県日吉山王宮鐘一口」とある。中須賀は当地にあたる。銘文にはこの地が「大旦越一心院領地」であり、願主行吉が殿宇を再興して鐘を鋳造させたと記されており、本願政所道順、一心院代権律師乗弘、前下総守沙弥道雄らが連署している。一心いつしん院は確証はないが、鎌倉十二所明石谷じゆうにそあかしがやつにあった密教寺院と考えられる。「鎌倉年中行事」によれば、一心院の住持は鎌倉公方の護持僧を勤めたとあり、かなり有力な寺院だったらしい。


長須賀村
ながすかむら

[現在地名]館山市長須賀

下真倉しもさなぐら村の北に位置し、汐入しおいり川を挟んで西は館山町。内房をめぐる鹿野山かのうざん道と、外房をめぐる伊南房州通いなんぼうしゆうどおり往還が通る。近世初頭の里見氏による館山城下建設では、当地も同城下に含まれていたと思われる。慶長一一年(一六〇六)八月一五日里見忠義は「長須賀町」などの商人中に対して商人役用捨等の法度(岩崎家文書)を出している。長渚とも書いた。


長須賀村
ながすかむら

[現在地名]磐田市長須賀

倉島くらしま村の北、ぼうそう川東岸の平野部にあり、東は北島きたじま村。豊田とよだ郡に属する。嘉応三年(一一七一)二月日の池田庄立券状写(松尾大社文書)豊田郡に立庄された池田いけだ庄のうちに長須賀がみえる。長須賀は畠一一町七段三六分・在家五宇で構成されていた。正保郷帳では高一一四石余、幕府領


長須賀村
ながすかむら

[現在地名]中川区富田とみだ町長須賀

北は万場まんば村に接し、富田庄絵図(円覚寺蔵)に長須賀とみえる。寛文一一年(一六七一)の家数四一、人数二一二(寛文覚書)

「徇行記」によれば、概高四二二石余のうち三五〇石は藩士三人の給知。田は八町二反余、畑は一五町三反四畝余。「此村ニ上大工二人アリ源吉・平八ト云、是堂閣ヲ造営スルコトヲ得テ良匠ナリ、其余大工二、三人アリ、又小商ヒヲスル者モ四、五戸アリ、薪ヲ運漕スル船問屋ヲ宇右衛門ト云、又此村ハ十年目毎ニ地割ヲス、近来ハ十四、五ケ年目ニスル事モアリ、新川西ニ少シ越地アリ、又農隙ニハ裏莚ヲ織出セリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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