新保御厨・新保庄(読み)しんぼのみくりや・しんぼのしよう

日本歴史地名大系 「新保御厨・新保庄」の解説

新保御厨・新保庄
しんぼのみくりや・しんぼのしよう

平安時代末期に京都上賀茂社(賀茂別雷神社)領として登場する御厨で、南北朝期頃から新保庄となっている。比定地については、従来神通川中流右岸の富山市新保説と滑川なめりかわ高月たかつきから富山市水橋新保みずはししんぼにかけての説がある。前者の説は新保の東の任海とうみ加茂神社が存在することから有力であったが、現新潟県小千谷おぢや魚沼うおぬま神社所蔵の大般若経の巻八四の奥書に至徳四年(一三八七)五月二二日の年紀銘とともに「宮河荘新保」とみえ、徳大寺家領宮河みやかわ庄内であることが判明している。後者の説は高月・魚躬うおのみ(現滑川市)賀茂神社(加茂神社)の存在を根拠としているが、新保庄と高槻たかつき(現滑川市)の存在時期が重なるなどの問題が残る。むしろ注目されるのは近世針原はりわら郷新保村(現水橋新保)で、「越中志徴」は付近の針原横越はりわらよこごし(現横越)に上賀茂社にゆかりのある貴船きふね神社が所在することを理由として新保庄を新保村の地に比定している。横越には貴船神社は現存しないが、後述のように宝徳三年(一四五一)に新保庄領主職が京都貴布禰きふね(現京都市左京区貴船神社)領とされていることからみて、新保御厨を水橋新保に比定する説が有力といえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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