日本歴史地名大系 「新保村」の解説
新保村
しんぼむら
北は
新保村
しんぼむら
手取川支流の
新保村
しんぼむら
北を
新保村
しんぼむら
- 新潟県:三条市
- 新保村
新保村
しんぼむら
新保村
にいぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
- 長野県:中野市
- 新保村
東は
中世は
寛正―文明年間(一四六〇―八七)頃は高梨氏知行となり、惣領家高梨政高は頭役二〇貫文を納め、主として一族江部氏を代官として勤仕せしめている(諏訪御符礼之古書)。
新保村
しんぼうむら
寛永備前国絵図に村名がみえ、高一千三九三石余。「備陽記」によると田畑八二町六反余、家数一〇〇・人数四四五。文化年間の「岡山藩領手鑑」では直高二千二二五石余、蔵入と家臣一二名の給地。田高一千四七一石余・畑高七九石余、家数九一、うち七二戸が
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
- 石川県:羽咋市
- 新保村
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
- 福井県:小浜市
- 新保村
天文一〇年(一五四一)に守護武田元光の子信高が当地の新保山城主となり、宮川保・
新保村
しんぽむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
- 福井県:敦賀市
- 新保村
慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では高一千一六二石余、正保郷帳では村切が行われて田方一八六石余・畠方二六石。天和二年(一六八二)小浜藩領より旗本井川領となる。享保一二年(一七二七)には庄屋彦七(持高一九石余)、牛馬銀四五匁、新出来米二七〇匁余、雉札一匁、渋柿二斗六升代米一斗五升余、夫役一ツ、夫米七俵余、馬足二一疋、牡馬一七、牛五、家数四九(うち高持二三・無高二五・寺一)、人数三二二(敦賀郷方覚書)。
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
- 石川県:加賀市
- 新保村
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
- 富山県:氷見市
- 新保村
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
- 新潟県:新井市
- 新保村
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
- 石川県:七尾市
- 新保村
七尾南湾沿いに
新保村
しんぼむら
新保村
しんぼむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報