新宮川原(読み)しんぐうがわら

日本歴史地名大系 「新宮川原」の解説

新宮川原
しんぐうがわら

[現在地名]新宮市新宮

ふな町の北の熊野川河原で、単に川原かわらともいう。江戸時代初期頃の新宮古図(新宮木材協同組合蔵)には「川原家数五十五家皆百姓」と記す。「続風土記」には東西二町とある。

地方に属したので、当初は商取引は公認されなかったが、寛文八年(一六六八)大火で町方の商家が大半焼失したため、翌九年には「大床・なる・炭・薪・てんや物・すくり・曾木・楊梅皮・かう(柑)類・しゐの皮・きのこ類・かづらの類・まきはだ・根松節松・木舞・ろ木ろうて・いもがら」の一七品目と、薪船に積んできた一〇本以内の端材木に限って売買が許可された(同年一〇月二二日付「新宮川原商売物定」同組合蔵)。その後町方の商家もしだいに再建されたが、新宮川原は熊野川上流からの物資調達の便がよく、城下から熊野川対岸への交通の要衝でもあったのでしだいに繁盛した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報