新居浜浦(読み)にいはまうら

日本歴史地名大系 「新居浜浦」の解説

新居浜浦
にいはまうら

[現在地名]新居浜市一宮いつく町一丁目・繁本しげもと町・宮西みやにし町・徳常とくつね町・泉宮いずみみや町・泉池いずみいけ町・若水わかみず町一―二丁目・港町みなとまち大江おおえ町・西町にしまち中須賀なかすが町一―二丁目・西原にしはら町一―三丁目・新田しんでん町一―三丁目・惣開そうびらき町・磯浦いそうら

新居浜平野の中央部を北流する国領こくりよう川の西岸から、西部を北流するひがし川の東岸にかけて広がる海岸平野にあり、北はひうち灘に面する。当村庄屋の寛永―万治年間(一六二四―六一)の「免札」数通には新居浜村とあり、浦とよぶようになったのは、寛文一〇年(一六七〇)松平氏西条入部以後という。また一宮いつく神社の社伝には、古来大円浜おおえのはまといい、のち大江おおえと書き、次いで新居浜に改められたという。大江の古地名は、当地域の海岸地形をよくうつしていて、海岸沿いに砂州が東西に延び防波堤の役割をして、内に中須賀なかすがから大江にわたる浅水細長の水路が延び、港津とくに漁港として発展するのに好適であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の新居浜浦の言及

【新居浜[市]】より

… 国領川西岸の現市街地は,古く大円(おおえ)浜,大江と呼ばれたといい,海岸沿いに砂州が延びて入江を囲み,良港であったとみられる。近世初期には新居浜村と呼ばれたが,1670年(寛文10)松平頼純が西条藩主として就封して後,新居浜浦と改称したという。1648年(慶安1)の新居浜村の石高499石余,66‐67年ころには923石余,戸数256,人口1523で,船数67のうち56艘が漁船であった。…

※「新居浜浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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