朝日日本歴史人物事典 「新清和院」の解説
新清和院
生年:安永8.1.24(1779.3.11)
江戸後期,光格天皇の皇后。後桃園天皇と女御維子(盛化門院)の第1皇女。幼称は女一宮。諱は欣子。生後9カ月で父天皇が没し,4年後に母皇太后も没したため,祖母の恭礼門院恭礼門院(富子)(桃園天皇女御富子)の許で成長。安永9(1780)年内親王宣下。光格天皇(閑院宮家の王子)が皇位を継ぐに当たって,将来皇后とすることが内約されており,寛政3(1791)年正式に治定。3年後入内して皇后となった。温仁・悦仁両親王を儲けたが,ともに夭折。儲君に定まった仁孝天皇を「実子」とし,同天皇即位後しばらくして皇太后。後桃園天皇唯一の子であるため優遇された。歌をよくし,御集がある。墓所は京都泉涌寺山内の後月輪陵。<参考文献>『皇室制度史料 后妃』2・5巻
(久保貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報