日本歴史地名大系 「新町下町」の解説
新町下町
しんまちしもちよう
横手城下北西端に位置し、南は同じ通称
寛永四年(一六二七)の在々給人配当帳(秋田県庁蔵)に、根岸住居の小瀬歳三郎指南足軽二〇人、一四六石(うち一〇石取二人、七石取一八人)とあるが、「六郡郡邑記」には、九〇軒、足軽三与(組)、一与は十太夫、二与は山県・高屋とあって、小瀬氏が消えている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
横手城下北西端に位置し、南は同じ通称
寛永四年(一六二七)の在々給人配当帳(秋田県庁蔵)に、根岸住居の小瀬歳三郎指南足軽二〇人、一四六石(うち一〇石取二人、七石取一八人)とあるが、「六郡郡邑記」には、九〇軒、足軽三与(組)、一与は十太夫、二与は山県・高屋とあって、小瀬氏が消えている。
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