新石灰町(読み)しんしつくいまち

日本歴史地名大系 「新石灰町」の解説

新石灰町
しんしつくいまち

[現在地名]長崎市鍛冶屋町(かじやまち)・油屋町(あぶらやまち)

今石灰(いましつくい)町の南西にある長崎外(そと)町の一ヵ町で、陸手に属した。町並はほぼ南北に形成される。はじめ今石灰町のうちで、寛文一二年(一六七二)の大町の分割策に伴い分立(華蛮交易明細記)、同年の間数一三四間・実箇所数四三・諸役御免箇所三(長崎県史)。正徳町絵図では本町長さ一三九間四尺余で、門番所がみえる。文化五年(一八〇八)の長崎市中明細帳では町の縦の長さ一三九間四尺余・幅平均二間半余で坪数一千二九一坪余(地子三七〇目)、箇所数四七、竈数一一一・人家一三三、人別三一六。五町組は今鍛冶屋町組、絵踏は一月四日、踊町は新興善町組、出火の際の詰所は高島作兵衛付、異船渡来の節は遠見番長屋下畑地詰(文政五年惣町明細諸雑記など)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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