方上御厨(読み)かたのかみのみくりや

日本歴史地名大系 「方上御厨」の解説

方上御厨
かたのかみのみくりや

現在の焼津市北部、瀬戸せと川左岸付近に所在した伊勢神宮の御厨。「中右記」大治四年(一一二九)一二月二日条に方上御厨とあり、当御厨の供祭物を国使・官使が奪取し、神人を凌轢したと訴えがあり、国司は当御厨停廃のため下向した官使らを神人が打損じたと反論している。文治二年(一一八六)閏七月、源頼朝は伊勢内宮禰宜長重を召し当御厨を寄進した(「吾妻鏡」同月二八日条)。建久三年(一一九二)八月日の伊勢神宮神領注文写(神宮雑書)では当御厨の給主は「同宮禰宜重章」らで、嘉承(一一〇六―〇八)・永久(一一一三―一八)宣旨に子細がみえるとあり、御厨としての成立は一二世紀初期までさかのぼると思われる。またこの頃の地頭は甲斐の武田五郎信光で、建仁三年(一二〇三)病床の将軍源頼家の夢想によって武田信光の所務を止めて幕府は神宮に寄進したという(「吾妻鏡」同年三月一〇日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android