朝日日本歴史人物事典 「武田信光」の解説
武田信光
生年:応保2(1162)
鎌倉前期の武将。甲斐国(山梨県)の住人。甲斐源氏信義の子。治承4(1180)年,一族と共に挙兵,駿河国(静岡県)に出陣し,平家方を破る。その後,源頼朝の傘下に入り,平家追討戦に従軍した。文治5(1189)年の奥州合戦にも参加するが,このころ安芸国(広島県)の守護であった。その後も阿野全成 の逮捕(1203)や和田合戦(1213)などで活躍。承久の乱(1221)の際にも東山道の大将軍として上洛,その功により再び安芸国の守護に任ぜられた。なお,兄一条忠頼が頼朝に誅殺されたため,武田氏の家督は信光が継いだ。
(三田武繁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報