施無畏寺跡(読み)せむいじあと

日本歴史地名大系 「施無畏寺跡」の解説

施無畏寺跡
せむいじあと

京都市北区の大北山おおきたやま辺りにあった寺。もと観音寺と称した。「本朝文粋」の兼明親王奏状に

<資料は省略されています>

とあり、観音寺は兼明親王の母淑姫(藤原菅根の女、醍醐天皇更衣)宿願により、兼明親王が亡母の遺志を継いで建立したことがわかる。またこの奏状は親王が私稲三千束を国衙の正税に加挙し、その利稲を観音寺の「灯分料」「住僧供」に充てることを官に請うたもので、経営・維持に努めていたことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む