日下部伊三次(読み)くさかべいそうじ

改訂新版 世界大百科事典 「日下部伊三次」の意味・わかりやすい解説

日下部伊三次 (くさかべいそうじ)
生没年:1814-58(文化11-安政5)

幕末期の志士。諱(いみな)は翼,号は九皐。薩摩藩士であった父が寄寓していた水戸藩領に生まれる。のち江戸に出て幕臣川路聖謨の従士となり,宮崎復太郎と称した。1855年(安政2)島津斉彬に認められ,薩摩藩江戸藩邸に召し抱えられた。58年7月,藩命により上京。8月8日,幕府の条約調印は遺憾であるという内容の密勅が発せられた(戊午の密勅)。水戸藩士鵜飼幸吉は,この密勅を東海道経由で,日下部はその写しを木曾路経由で,それぞれ江戸の水戸藩邸へ届けた。9月,鵜飼吉左衛門・幸吉から日下部にあてた書状が幕府に押収され,江戸で逮捕されたが,間もなく病没
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関連語 小野

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日下部伊三次」の解説

日下部伊三次 くさかべ-いそうじ

1814-1859* 幕末の武士
文化11年生まれ。もと鹿児島藩士海江田連の子。水戸藩につかえていたが,安政2年鹿児島藩に復帰。5年水戸藩への攘夷(じょうい)の勅諚(戊午(ぼご)の密勅)の写しを子の裕之進とともに江戸の水戸藩邸にとどける。安政の大獄で逮捕され同年12月17日獄死。45歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。名は翼。号は九皐,実稼。変名は深谷佐吉,宮崎復太郎。

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367日誕生日大事典 「日下部伊三次」の解説

日下部伊三次 (くさかべいそうじ)

生年月日:1815年4月7日
江戸時代末期の薩摩藩士;水戸藩士
1858年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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