日下部子麻呂(読み)くさかべの こまろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日下部子麻呂」の解説

日下部子麻呂 くさかべの-こまろ

?-773 奈良時代の官吏
筑後介(ちくごのすけ)在任中の天平(てんぴょう)10年(738)献上の鷹をはこぶ部領使(ことりづかい)として大宰府(だざいふ)から京におもむく。左兵衛督(さひょうえのかみ)をへて,山背守(やましろのかみ)となる。藤原仲麻呂の乱では,佐伯伊多智(さえきの-いたち)らと近江(おうみ)の勢多(瀬田)(せた)橋をやきはらい,仲麻呂の東国への退路遮断,乱後,功田(こうでん)20町をうけた。播磨(はりまの)守。宝亀(ほうき)4年5月17日死去。名は古麻呂とも。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む