日本歴史地名大系 「日山村」の解説 日山村ひやまむら 兵庫県:龍野市日山村[現在地名]龍野市龍野町日山龍野町の南に位置し、揖西(いつさい)郡に属する。東端を揖保(いぼ)川が南流する。西は小神(おがみ)村。室津(むろつ)(現御津町)方面へ向かう道沿いに日山村分川原(かわら)町があり、矢野(やの)(現相生市)方面に通ずる道沿いに商家が連なる。粒坐天照(いいぼにますあまてらす)神社の参道から台(だい)山にかけてには武家屋敷があり、その西に集落が密集する。中世は上揖保庄に含まれ、樋山(ひやま)とよばれた。「峯相記」によれば、小宅(おやけ)郷に万歳長者が、揖保庄には四コフ長者がおり、婿・舅となって互いに宴会を催した。その際酒を樋によって揖保川を渡し送ったので、その地を樋山といったという。天正一一年(一五八三)半田(はんだ)村(現揖保川町)が半田井への取水量を多くしようとしてこぜが瀬の井堰を切落した際、樋山村も同罪とされたためか領主蜂須賀正勝は当村庄屋新左衛門を二ヵ月間牢舎にした(年月日未詳「こぜが瀬井堰故実覚書」岩見井組文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by