日本歴史地名大系 「日本大通」の解説 日本大通にほんおおどおり 神奈川県:横浜市中区日本大通[現在地名]中区日本大通海岸通(かいがんどおり)から西南へ横浜公園に至る通り。明治一二年(一八七九)、外国人居留地のなかに三〇ヵ町を新設した際できた町名。横浜開港当初は駒形(こまがた)町といい、横浜の中心街であった。慶応二年(一八六六)の大火で運上所・町会所・神奈川奉行同心上番長屋・調役並定役役宅・通詞住宅などを全焼した。この大火を契機に外国人側は再び居留地の拡張・拡充を要求、同二年一一月横浜居留地改造及競馬場墓地等約書が定められ、大規模な区画整理が行われた。港崎(みよざき)町の遊郭を吉田新田(よしだしんでん)村に移転させて跡地を彼我公園とし、また延焼防止のため外国人居留地と日本人居住区の中央に海岸より公園まで歩道と街路樹を植えて下水を完備した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by