日本工業俱楽部(読み)にほんこうぎょうクラブ

改訂新版 世界大百科事典 「日本工業俱楽部」の意味・わかりやすい解説

日本工業俱楽部 (にほんこうぎょうクラブ)

1917年に創立された資本家団体。明治期には総合的資本家団体として各地の商業会議所と商業会議所連合会が活躍したが,工業化の進展とともに,銀行家の団体として力のあった東京銀行集会所に匹敵するような工業資本独自の利害を代表する組織を結成しようとする動きが高まった。第1次大戦下の好況のなかで,三井の重鎮団琢磨を理事長として社団法人日本工業俱楽部が創立され,有力な工業家を網羅して活発な活動を展開した。鉄鋼自給政策,関税改正など経済政策に関する建議活動とならんで,労働問題に積極的に取り組み,浜口雄幸内閣時代の労働組合法案反対運動では先頭に立った。32年に団理事長が暗殺されてのちは,政策建議活動は日本経済連盟会(1922年設立,のち経済団体連合会吸収)に,労働問題に関する活動は全国産業団体連合会(1931年設立,42年解散)に移して,日本工業俱楽部は財界人の社交機関に変質して,今日に及んでいる。第2次大戦直後は経済団体の戦後再編成を媒介する役割を果たした。
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百科事典マイペディア 「日本工業俱楽部」の意味・わかりやすい解説

日本工業倶楽部【にほんこうぎょうくらぶ】

工業事業家の連絡強化と工業の発展を図るための社団法人。1917年設立。〈財界の奥の院〉と呼ばれ,政府の政策にも強い影響を与えたが,初代理事長の団琢磨が1932年血盟団事件で暗殺されて以後は財界人の純粋な社交団体となった。

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世界大百科事典(旧版)内の日本工業俱楽部の言及

【商人】より

…また個人企業として行われていた各種商業は大規模なものから,商法施行(1893)に伴ってしだいに合名会社,合資会社,株式会社など法人化されていって,かつてのように個人営業者として商人が活躍する分野は相対的に狭くなっていった。とりわけ,近代工業の発達により大工業会社が出現し,それらの経営者は日本工業俱楽部に結集して活動するようになったので,商工会議所は中小の商工業者のための組織のようになっていった。それにつれて,かつては実業家といえば大中の商人で代表されたが,しだいに大企業の経営者で代表されるようになった。…

※「日本工業俱楽部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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