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団琢磨 だんたくま

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

団琢磨
だんたくま

[生]安政5(1858).8.1. 福岡
[没]1932.3.5. 東京
実業家,三井財閥の指導者。福岡藩士の家に生れ,明治4 (1871) 年 13歳のとき,岩倉具視ら特命全権大使の欧米視察に同行。そのままアメリカに在留し,マサチューセッツ工科大学鉱山学科を卒業,1878年帰国した。工部省鉱山局に勤務し,官営三池炭鉱に赴任,88年三池が三井に払下げられるとともに三井に入り,同炭鉱の近代化に努めた。 1914年三井合名理事長となり,三井財閥を工業中心の事業体に発展させた。さらに日本工業倶楽部理事長,日本経済連盟の会長など,昭和初期における財界の最高指導者として活躍したが,三井本館前で血盟団員の凶弾に倒れた。

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デジタル大辞泉の解説

だん‐たくま【団琢磨】

[1858~1932]実業家。福岡の生まれ。米国に留学。工部省三池鉱山局に勤務後、三井に移り、のち、三井合名会社理事長に就任。三井財閥の最高指導者となったが、血盟団団員に暗殺された。

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百科事典マイペディアの解説

団琢磨【だんたくま】

三井財閥の最高指導者。福岡藩士出身。米国のマサチューセッツ工科大学で鉱山学を修めた。官営三池炭鉱の技師となり,三井への同炭鉱払下げとともに炭鉱事務局長となった。
→関連項目池田成彬郷誠之助団伊玖磨

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

団琢磨 だん-たくま

1858-1932 明治-昭和時代前期の実業家。
安政5年8月1日生まれ。工部省の三池炭鉱にはいり,明治22年同鉱の三井払い下げで設立された三池炭鉱社に入社,大正3年三井合名理事長となる。日本工業倶楽部(クラブ)理事長,日本経済連盟会会長などをつとめた。昭和7年3月5日血盟団の菱沼(ひしぬま)五郎に暗殺された。75歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。マサチューセッツ工科大卒。旧姓は神屋。
【格言など】自己の使命を自覚し堅固不動の自活的精神を以て事に当れば,天は自ら助くる者を助くること固(もと)より疑のなきことである(「資本主義の先駆者」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

団琢磨

没年:昭和7.3.5(1932)
生年:安政5.8.1(1858.9.7)
大正から昭和期にかけての財界指導者,三井合名理事長。福岡藩士神尾家に生まれ,団家の養子となる。明治4(1871)年黒田家の給費留学生としてボストンに学びMIT(マサチューセッツ工科大)で学士号を得て同11年帰国。東大助教授になったが,専門の鉱山学を生かすことができなかったため,工部省三池鉱山局に入り勝立坑開発に取り組んだが,排水が容易でなく,その研究のため欧米に赴いた。その訪欧中に三池炭鉱は三井に払い下げられ,団は益田孝の懇望で三井に入り,三池炭鉱事務長となってデービイポンプ2基を据えつけて排水に成功,開坑をなしとげた。三井鉱山合名成立のとき専務理事,44年三井鉱山株式会社会長となる。42年三井合名創立のとき参事となり,翌43年合名社長三井高棟に随行して欧米を視察して信任を受け,大正3(1914)年益田孝のあとを受けて三井合名理事長となり,三井コンツェルンを統括し,工業化と多角化を指導した。そのかたわら,日本工業倶楽部理事長,日本経済連盟会会長として財界を代表し,同10~11年には英米訪問実業団団長となった。金再禁止に当たり三井のドル買い問題が非難され,昭和7(1932)年,血盟団の菱沼五郎のため暗殺された。

(中村隆英)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

だんたくま【団琢磨】

1858‐1932(安政5‐昭和7)
三井財閥のリーダー。戦前の代表的財界人。福岡藩士の家に生まれたが,1870年(明治3)同藩の団尚静の養嗣子となる。翌年旧藩主黒田家から海外留学生に選抜され,アメリカのボストンに7年間滞在し,設立初期のマサチューセッツ工科大学の鉱山学科を卒業。一時東京大学の助教授となったが,81年に工部省鉱山課に転じ,官営三池炭鉱に勤務。88年同鉱山が三井に払い下げられるとともに三井に入り,鉱山開発に成功し,三井鉱山の専務理事となる。

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大辞林 第三版の解説

だんたくま【団琢磨】

1858~1932) 実業家。福岡県生まれ。三池炭鉱事務長を経て三井合名会社理事長に就任、財界の指導者となる。血盟団員菱沼五郎に暗殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

団琢磨
だんたくま
(1858―1932)

技術者出身の実業家、工学博士。安政(あんせい)5年8月1日、福岡藩士神屋宅之丞の四男として福岡に生まれる。幼名駒吉。1870年(明治3)同藩勘定奉行(かんじょうぶぎょう)団尚静の養嗣子(ようしし)となる。1871年岩倉具視(いわくらともみ)渡米に際し、黒田家の海外留学生として金子堅太郎などとともに同行(岩倉使節団)、マサチューセッツ工科大学鉱山学科を卒業して帰国。以後、大阪中学校助教授、東京大学助教授などを経て、1884年工部省に入り三池炭鉱に勤務。同鉱の三井払下げに伴い三井に移り、同鉱事務長を経て1894年三井合名会社専務理事となり、以後同社を主宰。三池炭鉱においてはイギリス製新鋭排水ポンプの導入、三池築港、三池炭利用による多角的重化学工業化を推進、三池を三井のドル箱に仕立て上げるとともに、筑豊炭田(ちくほうたんでん)進出や北海道炭礦(たんこう)汽船系列化にも成功した。このような技術、経営両面での手腕を高く評価され、1909年(明治42)三井合名会社参事に進み、さらに1914年(大正3)益田孝の後任として同社理事長に就任し、以後17年間三井財閥の最高指導者として君臨、三井をわが国最大の財閥コンツェルンとして完成させた。また、財界団体の結成に尽力、日本工業倶楽部(くらぶ)理事長、日本経済連盟会長などの要職を歴任し、財界のリーダーとしても活躍、浜口内閣が立案した労働組合法案を阻止した話は有名。1932年(昭和7)3月5日、三井本館前で右翼テロにより劇的な最期を遂げた(血盟団事件)。なお、団の妻は金子堅太郎の妹、三井合名理事牧田環(まきたたまき)は団の女婿、音楽家團伊玖磨(だんいくま)は団の孫にあたる。[畠山秀樹]
『故団男爵伝記編纂委員会編・刊『男爵団琢磨伝』上下(1938) ▽日本経済史研究会編『近代日本人物経済史 下』(1955・東洋経済新報社)』

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世界大百科事典内の団琢磨の言及

【日本工業俱楽部】より

…明治期には総合的資本家団体として各地の商業会議所と商業会議所連合会が活躍したが,工業化の進展とともに,銀行家の団体として力のあった東京銀行集会所に匹敵するような工業資本独自の利害を代表する組織を結成しようとする動きが高まった。第1次大戦下の好況のなかで,三井の重鎮団琢磨を理事長として社団法人日本工業俱楽部が創立され,有力な工業家を網羅して活発な活動を展開した。鉄鋼自給政策,関税改正など経済政策に関する建議活動とならんで,労働問題に積極的に取り組み,浜口雄幸内閣時代の労働組合法案反対運動では先頭に立った。…

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