日本青年団協議会(読み)にほんせいねんだんきょうぎかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本青年団協議会」の意味・わかりやすい解説

日本青年団協議会
にほんせいねんだんきょうぎかい

略称日青協。各都道府県連合青年団を加盟団体とする全国的協議会。 1951年5月設立。事務局は東京都明治神宮外苑の財団法人日本青年館にある。全国の青年団の連絡協調,助成発達,国際的青年運動との提携などにより平和な民主日本の発展に寄与することを目的に,指導者養成,外国青年団体との交歓図書や機関紙『青年団新聞』 (月刊) の刊行,情報宣伝,研究調査,全国的行事の開催,表彰などの事業を行なっている。毎年1回の定期大会のほか各種の全国大会を主催,特に 55年以後毎年開催される全国青年問題研究集会 (青研集会) は,1年間の青年の自発的な学習の成果を集大成するもので,その報告書『日本の青年』が毎年刊行されている。

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百科事典マイペディア 「日本青年団協議会」の意味・わかりやすい解説

日本青年団協議会【にほんせいねんだんきょうぎかい】

略称は日青協。全国の地域青年団の連絡協議体。1951年結成。占領軍指導下に反共団体として出発したが,1952年以後は自主的立場をとり,積極的な民主化運動を展開している。東京・埼玉を除く45道府県支部があり,会員約20万人(1996)。

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世界大百科事典(旧版)内の日本青年団協議会の言及

【青年運動】より

…戦時体制の進展にともない,41年,大日本連合青年団,大日本連合女子青年団,大日本少年団連盟,帝国少年団協会が統合されて,大日本青少年団が結成された。 第2次大戦直後には占領政策による規制もあって青年運動はなかなか組織されなかったが,1951年東京など一,二の都県を除く地域青年団の全国組織として日本青年団協議会(日青協)が結成された。その活動は,自主的活動に基づく,青年の社会的地位の向上,生活の向上にあり,そのための仲間づくりと共同学習がなされた。…

【青年学級】より

…そのため,それに代わって町村によって青年学級とか青年学園とか名づけられた教育事業が行われた。青年学級振興法は,これらの教育事業を奨励する目的をもっていたが,勤労青年に後期中等教育の機会を保障するものではなかったし,運営に枠をはめたため,日本青年団協議会は青年学級振興法に反対し,〈基本的人権に立脚したものであること〉〈教育の機会均等の原則をつらぬくものであること〉〈不当な統制的支配や政治的干渉を受けないものであること〉〈平和のために努力する青年をつくる教育であること〉などからなる10項目の〈勤労青年教育基本要綱〉を発表した。そして,青年の自主性をそだて,共同で問題を発見し解決するための共同学習運動を提起し,全国の青年団でとりくみ,生活記録運動とともに青年学級の運営に少なからぬ影響を与えた。…

【青年団】より

…60年代以後,農業青年の激減,青年の賃労働者化によって,農村を基盤としていた青年団は団員が減少しているが,地域の勤労青年の自主的な集団としてスポーツや演劇などのレクリエーション・文化活動,さらに公害問題や奉仕活動など地域の課題にとりくむ活動が行われている。全国組織として,1951年に結成された日本青年団協議会(略称,日青協)があり,55年から年1回全国青年問題研究集会が催され,青年団活動の交流や研究が行われている。近年は脱農化にともない会員数が減少し,79年時点で約38万人が加盟していたが,96年には約20万人になっている。…

※「日本青年団協議会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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