改訂新版 世界大百科事典 「青年運動」の意味・わかりやすい解説
青年運動 (せいねんうんどう)
youth movement
Jugendbewegung[ドイツ]
青年が主体となって行う社会運動。一般に,青年の世代が受けている社会的圧迫状態を意識し,みずからの世代の解放を目的として行われる。したがって,青年に加えられる抑圧の何を重視し,どう対処しようとするかによって運動の性格は異なってくる。宗教的・道徳的観点を重視した,YMCA(キリスト教青年会,1844)やボーイ・スカウト(1908)の運動,成人社会の知識主義,功利主義,便宜主義に批判的態度をとって起こった,ワンダーフォーゲル(1896)や自由ドイツ青年運動Freideutsche Jugendbewegung(1913),政治的運動としては,G.マッツィーニによって創設された政治結社青年イタリア(1831)やチェコスロバキアの民族的体育運動ソコールSokol(1862)などがある。しかし,第1次大戦後になると青年運動には,青年の行動力・影響力を利用して,国家が運動を組織し,青年を動員させるという傾向が強くなってきた。ドイツではナチス政権下のヒトラー・ユーゲントHitler Jugend(1926)が1936年に法令によって官制青年運動となった。イタリアではファシスト政権下でバリラBalillaという青少年の組織をつくり,1926年にこれを法制化した。ソビエトでは1918年にコムソモール(全ソ連邦レーニン共産主義青年同盟,Komsomol)が法制化され,中国でも1920年に社会主義青年団(1925年共産主義青年団,57年中国共産主義青年団と改称)が組織され,共産党や政府の指導のもとで活動している。第2次大戦後になると,社会の国際化にともなって,青年運動にも国際的青年組織が結成された。これは一国では解決のつかない広い範囲での活動をめざして,各国の青年が提携しようという意図であった。西ヨーロッパを中心に結成された世界青年会議World Assembly of Youth(1948)と,共産圏中心の世界民主主義青年会議World Federation of Democratic Youth(1945)である。しかし,こういった国際化が進展していく一方で,1960年代以降,とくに先進産業国においては,社会の管理化に対応して,コミューン活動を行う青年運動の傾向もある。
日本の青年運動
日本の場合,青年運動は従来からあった若者組,娘組を悪弊として非難するのに対応して組織された。1880年代ごろからおもに若者組を母体として,農村部を中心に形成されはじめた青年団体は,90年代以降徐々に増加していった。1886年の中学校令(尋常・高等の2等に分け,府県立尋常中学校は各府県1校,高等中学校は全国に5校)の公布は,尋常中学校を激減させたため,軍隊に入るまでの教育機関として,読み・書き・そろばんの基礎を習得する場として,また風紀の改善を図り人心を統一する機関として,各地に青年団体が組織された。1880年にはYMCAが創設され,会員の修養,伝道を目的に全国的組織ができた。山本滝之助は96年に《田舎青年》を著すなど,地域青年会組織の必要を説いた。この当時の青年団体は,豪紳の子弟や書生・学生層に担われており,新しい日本の建設という,志士的気風に支えられていたことに特徴がある。日露戦争後,この担い手は農民の子弟を中心としたより下層の青年に移っていく。1905年に設立された報徳会は,地方改良運動の推進母体として,青年の勤勉励行の美風を興し,06年に蓮沼門三が創立した修養団は,企業家と組んで労使協調を説く一方で,地域青年団運動の発展に寄与した。この後,10年の帝国在郷軍人会の組織化と相まって,青年団体も官制化されていく。15年の内務省・文部省共同訓令による〈青年団体ノ指導発達ニ関スル件〉では,修養団体としての青年団体の育成に力点を置いた方針が示された。24年には男子青年団の全国的連合体として大日本連合青年団が結成された。ちなみに,この時期に青年会の名称が,一般に青年団と改められるようになった。また,処女会,娘の会などという女子青年団もしだいに官制化され(女子青年団体施設要項,1926),27年には大日本連合女子青年団が結成された。そして,39年の青年学校の義務化とともに民間の青年団体はその機能をまったく失った。戦時体制の進展にともない,41年,大日本連合青年団,大日本連合女子青年団,大日本少年団連盟,帝国少年団協会が統合されて,大日本青少年団が結成された。
第2次大戦直後には占領政策による規制もあって青年運動はなかなか組織されなかったが,1951年東京など一,二の都県を除く地域青年団の全国組織として日本青年団協議会(日青協)が結成された。その活動は,自主的活動に基づく,青年の社会的地位の向上,生活の向上にあり,そのための仲間づくりと共同学習がなされた。原水爆禁止運動,沖縄復帰運動などの政治的活動から新生活運動,教育問題,内外青年団との交流と幅広い活動を続けてきたが,運営上の困難も少なくない。また,民主青年同盟,社会主義青年同盟などの革新政党系や友愛青年同志会(1973年友愛青年連盟と改称)の保守政党系の青年団体や創価学会青年部などの組織も,それぞれの上部団体との関係で活動を続けている。
→学生運動 →青年団
執筆者:今 防人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報