日本歴史地名大系 「日根牛村」の解説 日根牛村ひねうしむら 宮城県:登米郡登米町日根牛村[現在地名]登米町日根牛寺池(てらいけ)村と北上川を挟んだ対岸にある。東の山地から西流する羽沢(はざわ)川の周囲と北上川東岸に耕地が広がる。北上川に沿って街道が通る。北は楼台(ろうだい)村境物見(ものみ)山頂上(現東和町)、南は黄牛(きうし)村境鍛冶(かじ)屋敷(現本吉郡津山町)、東は横山北沢(よこやまきたさわ)村境三番坂(現津山町)、西は寺池村北上川大舟場に接する。東西二千六一六間・南北四千一二四間とある(登米藩史稿)。年未詳一一月晦日の伊達氏宗書状(留守文書)に「葛西日根牛之地」とあり、この文書は天文五年(一五三六)から同六年のものと考えられる。元亀二年(一五七一)七月三日の熊谷図書宛の葛西晴信知行状(熊谷文書)に「為加増日根牛村之内五千三百苅永代可令知行者也」とある。付近に南北朝期以後の板碑が散在し、古くから開発が行われたと思われる。入谷(いりや)神社の奥院には、永和三年(一三七七)の板碑があり、「右建者一結同心僧衆浄貴賤男女 為施主一百人」と刻まれ、周辺の結縁衆一〇〇人によって建立されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by