日米自動車摩擦
日米間の自動車貿易不均衡で生じた両国のあつれき。1973年の第1次石油危機を発端にガソリン価格が高騰し、米国で小型車の需要が高まる中、米自動車メーカーの対応が遅れたすきに日本車の米市場進出が進んだ。米側の対日感情の悪化を背景に、日本側は81年以降、対米輸出の自主規制を実施。自動車は93年からの日米包括経済協議で主要テーマとなり、95年に日本市場の参入拡大合意などで収束した。日本メーカーの海外進出と現地生産の後押しにもなった。
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日米自動車摩擦
にちべいじどうしゃまさつ
1980年代における日米経済摩擦の最も象徴的な事例の一つ。 73年の石油危機後,ガソリン価格の高騰によってアメリカの消費者の小型車化志向が進んだ。しかし米自動車産業はこれを一時的現象と見て,小型車の生産体制を整えなかった。日本の自動車業界はこの間にアメリカ市場でのシェアを急速に拡大し,80年には 20%程度にまで達した。アメリカの自動車産業および全米自動車労組は,日本車の輸入規制を要求,これに呼応する議会の一部では,輸入規制法案が提出された。自由貿易を掲げるレーガン政権は,米側の規制に反対する一方,日本に対し輸出自主規制を行なうよう求め,81年から実施された。初年度の割り当ては 168万台で,前年度の実績から 15%程度削減された。当初3年間で撤廃される予定であった自主規制は,米自動車産業の回復が思わしくなかったこともあり,235万台に増枠された上で現在まで継続されているが,日本の自動車産業の海外進出が進み,雇用を創出した結果,日本車の輸出による摩擦は,相当程度緩和されている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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