朝日日本歴史人物事典 「日野内光」の解説
日野内光
生年:延徳1(1489)
戦国時代の公卿。徳大寺実淳の次男で,前名は高光,澄光。法号は後広寿院花谷道栄。明応4(1495)年に日野政資が没し,政資の生前からの約束により他家でありながら日野家を継ぐ。養母は下野守源教春の娘。右大弁,蔵人頭を務め,大永1(1521)年参議,左大弁,従三位となり,同3年に権中納言,正三位,同6年に権大納言となる。室町幕府将軍家の近臣で,同7年2月13日に京都桂川の川勝寺において将軍足利義晴方の細川高国,武田元光らと三好勝長,政長らが合戦をしたときに高国方に加わり,敗走する途中で討死した。永禄2(1559)年に左大臣,従一位を贈られた。
(伊東正子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報