朝日日本歴史人物事典 「徳大寺実淳」の解説
徳大寺実淳
生年:文安2(1445)
室町時代後期の歌人。内大臣公有の子。従一位太政大臣に至る。永正8(1511)年に出家。法名は忍継。禅光院と号する。和歌を非常に好み,明応4(1495)年『長門一宮法楽百首』,文亀3(1503)年『三十六番歌合』などに出詠,自邸でもたびたび歌会を催す。三条西実隆に『古今和歌集』に関する不審を問い,子息空実に古今伝授を行うなど,ひとかどの歌人としての自覚を有していた。家集『実淳集』のほか,『詠百首和歌』が現存し,漢和聯句の作法書『漢和法式』も著している。<参考文献>井上宗雄『改定新版 中世歌壇史の研究/室町後期』
(加藤睦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報