…ついで84年(元中1∥至徳1)叡山・南都の一部僧侶の使用にかかる弘徳,88年(元中5∥嘉慶2)大和の一部に見られた永宝はいずれも,北朝において年号勘申を担当した公家たちの対立を背景として,正年号に対する不満から生まれたものと推測されている。次いで室町時代に入って,1443年(嘉吉3)天靖の年号が南朝の遺臣の間で用いられ,15世紀後半には関東公方足利成氏の治下で享正・延徳の年号が現れる。いずれも正年号を拒否することで室町幕府に反抗する政治意思がこめられている。…
※「延徳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」