日野渡(読み)ひののわたし

日本歴史地名大系 「日野渡」の解説

日野渡
ひののわたし

甲州道中の府中宿と日野宿の間にある多摩川に設けられた渡船場。多摩川下流の東海道の六郷ろくごう(現大田区)とともに、江戸周辺では最も重要な渡船場であった。対岸柴崎しばざき(現立川市)。甲州道中が整備される貞享元年(一六八四)以前の渡船場は、日野宿下流の万願寺まんがんじ村に設けられていて万願寺渡とよばれていた。万願寺渡の設置時期は不詳であるが、江戸時代以前と考えられる。貞享元年に上流の日野宿地内に移って日野宿の経営となり、日野渡・日野渡船場とよばれるようになった(文政三年「玉川渡船記」佐藤信行家文書)。宿役人(年寄)二〇人が交替で一人ずつ常駐し、その指図のもとに船頭二人が渡船賃の徴収や渡船の打替・修復など運営に携わった。実際の船渡しは宿内から雇った水主一四人(常駐六人)が行い、馬船一艘につき二人で操った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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