日野邦光(読み)ひの くにみつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日野邦光」の解説

日野邦光 ひの-くにみつ

1320-1363 南北朝時代公卿(くぎょう)。
元応2年生まれ。日野資朝(すけとも)の子。阿新丸(くまわかまる)とよばれた13歳のとき佐渡に配流中の父をたずねたが,父が本間山城入道に謀殺されたことを知り,その子三郎を殺して仇(かたき)を討つという話が「太平記」にのる。南北朝内乱では南朝方廷臣として活躍,権(ごんの)中納言となった。貞治(じょうじ)2=正平(しょうへい)18年死去。44歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の日野邦光の言及

【阿新丸】より

…鎌倉時代末の公家日野資朝の子。資朝は後醍醐天皇の討幕計画に参加したが,事が漏れて捕らえられ,佐渡に流された。13歳の阿新は従者1人をつれて佐渡に渡り,守護本間入道に父子の対面を願ったが許されず,父は殺されてしまった。復讐の機をねらう阿新は,ある夜本間の寝所に忍び込んだが,入道は不在で果たせず,父を斬った本間三郎を殺して巧みに逃げ,山伏に助けられて都に帰った話が《太平記》にくわしく記されている。その後阿新は邦光と名のって南朝の忠臣となり,中納言に任ぜられたが,明治時代になってよく忠孝を実践した人物として顕彰され,1915年には正三位を追贈された。…

※「日野邦光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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