滝沢峠
たきざわとうげ
会津若松市一箕町八幡字坂下より東へ河沼郡河東町八田字強清水に至る間を一般に滝沢峠とよび、途中にある一箕町金堀までを狭義の滝沢峠、それより東を沓掛峠という。近世以前にも滝沢村より大野原(現河東町)、戸ノ口(現猪苗代町)を経て猪苗代湖岸に向かう山越えの小路はあった。寛永四年(一六二七)加藤嘉明が会津に入ると、同年白河街道の背炙峠を廃して滝沢峠に新道を開いた(会津旧事雑考)。しかし秋雨の時節には泥濘が深くなり、人馬の往来は苦労をした。そこで加藤明成のとき、寛永九年より八万人の人夫を使って泥土を除き、二尺余に三尺くらいの石を敷きつめ、同一一年完成した(新編会津風土記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 