改訂新版 世界大百科事典 「住居表示」の意味・わかりやすい解説
住居表示 (じゅうきょひょうじ)
住所,居所または事務所,事業所その他これに類する施設の所在する場所(住居)を一定の方法に従って表示する制度。町名地番による従来の慣行的な住居表示では地番の混乱が著しいので,合理的な住居表示の制度を確立するため,1962年に〈住居表示に関する法律〉が公布された。この法律によると,市街地における住居表示には,市町村内の町または字の名称,街区符号および住居番号で表示する街区方式と,道路の名称および住居番号で表示する道路方式との二つの方式がある(2条)が,いずれの方式によるかは,市町村が議会の議決を経て定めるとしている(3条)。市町村の住民は,あらかじめ公示された町・字の区域の新設,廃止または区域・名称の変更の案に異議のある場合には,市町村長に対し,公示の日から30日を経過する日までに50人以上の連署をもって変更の請求をすることができる(5条の2-1,2項)。変更の請求があったときは,市町村長は,変更の請求の要旨を公表するとともに,当該変更の請求書を添えて公示された案を議案として議会に提出し(5条の2-4,5項),議会は,公聴会を開いて関係者から意見を聴いた後でなければ,当該議案を議決することができない(5条の2-6項)。しかし,住民が町名の変更等の決定を不満として訴訟の形式で争うことについては,最高裁判所は,町名等を変更されないという利益が法的に保障されたものとはいえず,町名変更等によって失費を余儀なくされることのない利益も法的利益とはいえないとして,住民の訴えの利益を否定している(1973年の判決)。
執筆者:中島 茂樹
ヨーロッパ--パリの場合
密集した人口をかかえ,多様な建造物の立ち並ぶ現代の都市においては,なんらかの方式に従って家屋に番号を付し,それらを容易に確認できるようくふうされているのが一般である。都市環境整備の長い歴史を持つパリでは,5000を超す通りのそれぞれに名前がつけられているだけではなく,家屋・建造物にはすべて番号が付されているから,住所さえ知っていれば,その家を探し当てることはきわめてやさしい。家の番号は,セーヌ川に並行して走る通りでは上流から下流へ,それ以外の通りでは川に近い端から外周へ向かい,左側が奇数,右側が偶数の原則に従って整然とつけられており,迷子になりようもない。農村部でも,都市におけるほどその必要性は大きくないものの,行政上の要請から,番号による住居表示の方式がとられていることが多い。
しかし,今日ではごく当然のことと受け取られている番号表示の方式は,実は近代における行政権限の拡大と近代人の数字信仰がもたらしたものであり,一つの歴史的所産にほかならなかった。中世ヨーロッパの都市では,もちろん規模も格段に小さかったのだが,人々は家に番号を付ける必要を感じていなかった。番号の代りをしていたのが,家々に付された屋号であり,都市空間をわがものとするのに,それで十分だったのである。旅籠や酒場が人目をひくため風変りな屋号をつけたのは当然だが,一般の家屋も,その多くが,なんらかのいわれをもとに,その特徴を示す屋号を持っていた。ときにそれは軒先に彫られた聖者や動物・植物の名であり,ときにそれは〈首なし女の家〉といった過去の事件を想起させるものであって,中世人の豊かな想像力が多彩な命名法とアレゴリーに満ちたその図像化によく表れている。狭い小路に看板がたくさん突き出ており交通の邪魔になるというので,1667年パリの警視総監は,幅80cm以内,地上4.5m以上と規制を設けたりしている。
家の識別に数字が用いられたのは,パリでは16世紀初め,ノートル・ダム橋の上にパリ市が再建した68軒の家の例が最初であるらしい。しかし,これは,入札用の番号で恒久的な住居表示とはならなかった。行政上の措置として番号表示が導入されたのは18世紀になってからであり,まず1726年郊外の家屋に,80年ごろより市内の家屋にも,この措置が適用された。しかし,この方式は,課税の強化を恐れる住民や,貧しい平民の家とひとしなみに番号をふられることを嫌う大邸宅の所有者の反発をかって定着しなかった。しかし,革命期には,課税の厳正化と国民軍徴募のため,街区(セクシオン)ごとに家屋の番号表示が進められ,次いでナポレオンの第一帝政下の1805年に,現在の地番表示の基礎となる新方式が導入されることとなった。パリのこの住居表示方式は,ヨーロッパ近代都市のモデルとされるものだが,対象を数量化してとらえるという近代行政の特徴を如実に示す例といえよう。
執筆者:二宮 宏之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報