日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
市街地にある住所・居所または事務所・事業所等の施設の所在場所を表示すること。1962年に「住居表示に関する法律」(昭和37年法律第119号)が制定され、それまでの複雑な町名地番を機械的・合理的なものに整理しようとした。
住居表示には街区方式と道路方式がある。街区方式は、道路・線路その他の恒久的施設または河川・水路等によって区画した地域につける街区符号、および建物等につける住居番号で表示する方法である。道路方式は、道路に名称をつけ、道路に接する建物等につけられる住居番号で表示する方式である。道路方式は欧米では一般的であるが、日本ではなじまないとして実際には採用されず、街区方式が一般的となっている。住居表示は、市町村が議会の議決を経て市街地につき区域を定め、当該区域における住居表示の方法を定めるとともに、当該区域について街区符号および住居番号または道路の名称および住居番号をつけることによってなされる。市町村長は、町もしくは字(あざ)の区域の新設・廃止またはその区域・名称の変更をするときは、議会の議決前にその案を公示しなければならない。この案に異議のある有権者は、50人以上の連署をもって、理由を付してこの案の変更を求めることができる。市町村の議会はこれらの変更の請求があったときは、あらかじめ公聴会を開き、当該地域の住民の意見を聞いたあとでなければ当該議案の議決をすることはできない。住居表示制度の導入により各地で由緒ある地名が廃止されたため、反対運動も少なくない。
なお、こうした紛争に対処するため、街区方式による町または字の名称は、できるだけ従前の名称に準拠して定め、また、できるだけ読みやすく、かつ簡明なものにしなければならない、と1985年(昭和60)に「住居表示に関する法律」の一部が改正された。
[阿部泰隆]
外国の住居表示
欧米諸国およびその旧植民地では、すべての道路や広場に名前をつけ、それぞれの道路や広場に面している家に一連の番号をつけている。この家番号が、日本の番地のように法的にその不動産を特定する機能と、住居表示の機能とを兼ね備えているわけで、そのため同じ行政区域内には同名の道路や広場が二つ以上ないように配慮されているのである。
この方式は1805年にフランスのセーヌ県知事フロショがパリで採用して、大きな効果を収めて以来、あまねく欧米諸国に普及した。彼はまた、セーヌ川に並行している道路では川下に向かって、その他の道路ではセーヌ川から遠ざかる方向に向かって、順に家番号をつけ、左側は奇数、右側は偶数と定めた。
家番号は各建物の入口に大きく表示されており、近代的なビルでも例外ではない。たとえば1、3、5番という三つの建物を取り壊して一つのビルにしたような場合、そのビルは法的には1/5番、実際には単に1番と表示されることが多い。そのため1番の次は7番になるというような飛び番号はあるが、日本の住居表示のように横丁に回り込むことは絶対にない。道路や広場の名前は街角ごとに各建物の外壁などに表示されているので、家番号さえわかりさえすれば、目ざす建物を探し当てるのはきわめて容易である。京都の中心部はむしろ欧米式に近く、おもな通りにはすべて名前がついており、「錦小路烏丸西入(にしきこうじからすまにしい)ル」というように、簡明に場所を表現できるのとやや似ている。
[紅山雪夫]
『今尾恵介著『住所と地名の大研究』(新潮選書)』