鳥屋野潟(読み)とやのがた

日本歴史地名大系 「鳥屋野潟」の解説

鳥屋野潟
とやのがた

東西阿賀野川信濃川の両大河に挟まれた亀田かめだ(近世は横越島という)の西北側、信濃川側にある潟湖。東西四キロ・幅一キロの紡錘形で、面積一八〇ヘクタール。東北端で中蒲原郡亀田町より沼垂ぬつたりへ北流する排水河川くり(近世は栗ノ木堀・栗ノ木通とも)に接続し、新潟湊に注ぐ。西南端は現在親松おやまつ排水路によって信濃川に通じる。潟周辺は零メートル地帯で、潟沿いの村は北西側に紫竹山しちくやま神道寺かんどうじ小張木こばりのきの各新田、南東側は西山二ッにしやまふたつうばやま長潟ながたの各新田。寛永一六年(一六三九)横越島絵図(青木正昭氏蔵)では北端から鳥屋野村の南を信濃川へ通じる堀がみえ、また南になべ潟とある。近世末と思われる横越組絵図(佐々木寛司氏蔵)では潟南より鍋潟なべがた新田の方へ通じる堀が描かれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「鳥屋野潟」の意味・わかりやすい解説

鳥屋野潟 (とやのがた)

新潟県新潟市北端部にある潟湖。かつて亀田郷と呼ばれた信濃川,阿賀野川,小阿賀野川に囲まれた低湿地の最低部を占める。面積1.8km2。東西4km,南北1kmの紡錘形で,湖底標高は平均-3m。東端で栗ノ木川が流入し,西端より1.5kmの排水路で信濃川に結ばれる。出口の親松排水機場が1963年に完成後,水位調節が可能となり,周辺の湿田地帯の乾田化が進んだ。湖の周辺は桜の名所。旧新潟市(2005年の合併前の自治体)南部の都市化に伴い汚染が進み,埋立計画が出されたこともあったが,その後周辺を整備して都市公園とする計画が進められている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳥屋野潟」の意味・わかりやすい解説

鳥屋野潟
とやのがた

新潟県南部、信濃(しなの)川右岸にある潟湖(せきこ)。蒲原(かんばら)砂丘列裏側のラグーン低湿地で、東西の長さ4キロメートル、幅1キロメートル。現在蒲原平野に残されている唯一の潟湖である。かつては亀田郷の水郷とよばれたゼロメートル地帯の中心をなし、田下駄(たげた)で田植をした。沼田の周りは稲架林(はざばやし)の景観がみごとで、田舟で稲を運んだ代表的低湿地帯であった。第二次世界大戦後、潟東から排水される栗ノ木(くりのき)川に大排水場ができ、さらに国の亀田郷土地改良事業が進められて、現在は二毛作が可能な乾田にかわっている。1957年(昭和32)潟の所属した曽野木(そのぎ)村が新潟市に合併(江南区)してからは、市民の憩いの場として観光化が進み、湖畔は桜の名所で湖上の船遊びが楽しめ、野球場や総合グラウンドもある。湖岸女池南(めいけみなみ)の県立自然科学館は子供たちの生きた科学との出会いの場として全国有数の施設を誇っている。

[山崎久雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳥屋野潟」の意味・わかりやすい解説

鳥屋野潟
とやのがた

新潟県中部,新潟平野の中北部にある新潟市の中心市街地がある中央区の南部に位置する。面積 1.9km2。かつては亀田郷の水郷と呼ばれた海抜 0m地帯の中心。田舟で稲を運んだ低湿地であったが,第2次世界大戦後,東の栗ノ木川に排水機場ができ,さらに国の亀田郷土地改良事業が進められ,二毛作が可能な乾田となった。湖上では舟遊びが楽しめ,湖畔にはサクラの名所やスポーツ公園,県立自然科学館などがある。

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デジタル大辞泉プラス 「鳥屋野潟」の解説

鳥屋野潟(とやのがた)

新潟県新潟市中央区南部の市街地にある海跡湖。面積約1.37平方キロメートル。周辺は公園として整備され、スタジアムや食と花をテーマとした複合施設「いくとぴあ食花」などが隣接している。

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事典・日本の観光資源 「鳥屋野潟」の解説

鳥屋野潟

(新潟県新潟市中央区)
日本の重要湿地500」指定の観光名所。

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