明屋敷(読み)あきやしき

日本歴史地名大系 「明屋敷」の解説

明屋敷
あきやしき

駿府城下周辺および町人町の間にあった田地の総称。安倍(あべ)郡のうちとされ、明屋鋪とも書く(元禄郷帳など)。当初、これらの地は慶長年間(一五九六―一六一五)の徳川家康駿府入城後に設けられた武家屋敷地であったが、寛永九年(一六三二)の徳川忠長改易によって駿府城が番城になり、武士たちは江戸へ戻ったため、屋敷地は空地となったという。さらに同一二年一一月晦日、城下茶(ちや)町からの出火によって駿府城番衆の屋敷が焼失。そのため城外の屋敷は城内に移された。このようにして生じた跡地は城下の町人によって耕作され、検地によって一村扱いとなり、町人の持地となった(以上「駿河志料」など)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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