朝日日本歴史人物事典 「明石元知」の解説
明石元知
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。通称与四郎,左近,左近将監ともいい,名も則実,則春,実則などいろいろある。播磨明石の出身で,仙恵の子。天正8(1580)年,従兄の黒田孝高(如水,官兵衛)を通じて豊臣秀吉に属すようになったという。同11年の賤ケ岳の戦,12年の根来・雑賀攻め,小牧・長久手の戦,13年の四国攻めに従軍して戦功をあげ,1万石を与えられて但馬国豊岡城主,さらに播磨国明石城主となった。その後,九州攻め,小田原攻め,文禄1(1952)年の文禄の役にも従軍した。同4年の豊臣秀次失脚事件に連座して小早川隆景に預けられ,切腹させられたと伝えられる。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報