日本歴史地名大系 「明禅寺城跡」の解説 明禅寺城跡みようぜんじじようあと 岡山県:岡山市旧上道郡地区沢田村明禅寺城跡[現在地名]岡山市沢田沢田(さわだ)の西南、操(みさお)山(一六九メートル)から北方に突き出た尾根先端(明禅寺山、一〇〇メートル)にある。永禄九年(一五六六)三村家親(備中松山城主)を討った亀山(かめやま)城主宇喜多直家が、家親の子元親ら備中勢の反撃を予想して、これに対処するために築城、家臣を配した(「備前軍記」など)。比高九五メートルの山城で、縄張りは丘陵頂部に本丸を設け、北側に二段、西方山腹に三段の腰曲輪を配した単純な構成で、臨戦用城砦と思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報