日本歴史地名大系 「明秀寺」の解説 明秀寺みようしゆうじ 和歌山県:海草郡下津町小原村明秀寺[現在地名]下津町小原小原山と号し、西山浄土宗。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば恵心僧都の開基で、はじめ長福(ちようふく)寺と称したという。現和歌山市梶取(かんどり)の総持(そうじ)寺を開いた明秀光雲が、文明年中(一四六九―八七)当地に来て再興し、曾根田(そねだ)(現下津町)の竹園(ちくえん)社に移るまでしばらく住んだという。この中興開山明秀の名をとって、寛文年中(一六六一―七三)寺号を明秀寺と改めたと伝える。「下津町史」によれば本堂は正保四年(一六四七)正月の建立。境内に観音堂があり、藤原時代の十一面観音が安置される。この像は平安時代小原(おはら)西方の拝町(はいまち)に建立された正福(しようふく)寺にあったが、天正一三年(一五八五)の羽柴秀吉の紀州攻めの時に廃寺となり、像のみ長福寺に移され、観音堂を建てて安置したものであるという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by