星倉村(読み)ほしくらむら

日本歴史地名大系 「星倉村」の解説

星倉村
ほしくらむら

[現在地名]日南市星倉・星倉一―四丁目・時任町ときとうちよう今町いままち一―二丁目

楠原くすばる村の東に位置し、村の北部から東部にかけて酒谷さかたに(西川)が曲流する。干倉とも書いた(飫肥林業発達史)酒谷川を挟んで北から北西にかけては飫肥おび城下に接し、同城下麓四ヵ村の一であった(六鄰荘日誌)。なお酒谷川対岸北方、商家の集住する今町広木田ひろきだ飫肥城下に含まれていたが、元来は当村の地内で、当村に属して扱われることもあった。今町・広木田の境付近で城下春日馬場かすがばば道から南に折れ、今町橋で酒谷川を渡り、同川と並行するように南下して油津あぶらつ湊に至る往還(油津往還)が縦断していた。同往還に沿う星倉・釈迦尾しやかおには下級藩士が集住していた。また天保―弘化年間(一八三〇―四八)頃の長久寺檀家帳(常楽院文書)には当村枝村として「横手村」がみえ、一七名が記されていて、釈迦尾ヶ野の南方に位置する横手よこてを枝村に扱う場合もあったようである。地内に中世の新山にいやま城跡、同所の南西いで砦跡がある。

検地古今目録(日向国史)によると慶長一〇年(一六〇五)には高二千二七一石余・田畑屋敷一七〇町余、寛保二年(一七四二)には高二千八三二石余・田畑屋敷一九二町八反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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