星田庄(読み)ほしだのしよう

日本歴史地名大系 「星田庄」の解説

星田庄
ほしだのしよう

交野市内を北西流する天野あまの川の西、星田および周辺地域にあった庄園。奈良興福寺別院円成院領で、保元元年(一一五六)一〇月三日の播磨守平清盛書状(興福寺別当次第裏文書)に「星田庄解状成外題進上之」とあるのを初見とする。当庄は国司清原俊資の任中、長承元年(一一三二)頃には成立していたが、久寿元年(一一五四)鳥羽法皇によって美福門院御祈祷所に宛てられ、円成院の仏聖料所の庄園となったという(保元四年正月二四日「円成院領星田庄解」同文書)

保元元年に近隣の御牧(院御領福御牧か)と当庄との相論について当庄の訴えが出され、院司播磨守清盛はその解状に裁許の外題を加えて、「件郷」(星田庄)が故鳥羽院の沙汰により御牧内でないことを、本所興福寺に伝える書状を送っている(前掲平清盛書状)。この相論は保元四年にも再発し、同年正月二二日、福御牧ふくのみまき沙汰人らが院御厩舎人貞次以下六〇余人の部類を率いて、星田庄民二〇余人の住宅を追捕し、資財調度を捜し取るという事件が起こった。このときの星田庄下司惟宗守頼・公文大神貞宗以下住人らの解状によると、御牧側は女院御庄を牧内とみなし、院御厩別当仰せと称して、牧役である「一番御」ならびに正月以後三ヵ月の「御厩相折」を勤仕させようとしたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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