楠葉牧(読み)くすはのまき

日本歴史地名大系 「楠葉牧」の解説

楠葉牧
くすはのまき

淀川沿いの楠葉くずは一帯に置かれた中世摂関家領の牧。古代交野かたの葛葉くすは(和名抄)の地にあたり、「小右記」永観二年(九八四)一一月二三日条に「楠葉御牧司」とみえる。成立の具体的事情は不明。平安初期、河内国交野郡など諸郡の「河畔之地」に「公私牧野」があり、その「牧子之輩」が往来の船を妨げたことが昌泰元年(八九八)史料でわかるが(同年一一月一一日「太政官符」類聚三代格)、この交野郡の「牧野」は楠葉牧の前身とみられる。一方、「御堂関白記」長和四年(一〇一五)九月八日条に、藤原道長が楠葉牧にあった鐘を父兼家の法興院に送って懸けさせた記事があり、同牧が摂関家領となっていたことをうかがわせる。また同書同年七月一一日条には「播磨牧馬」一〇疋を「河内牧」に引き遣わしたとあるが、これは摂関家の馬を楠葉牧で放飼・繋飼したことを物語るものであろう。「拾遺抄註」の御牧に関する説明によると、東国の御牧から貢上された馬を馬寮や「一所いちのところ(摂関家)から下して、「近国五畿内」で飼養する御牧は、美豆みず御牧(現京都府)、楠葉御牧、鳥養とりかい御牧(現摂津市)垂水たるみ御牧(現吹田市・豊中市・箕面市)などであったという。

楠葉牧は代々の摂関家氏長者伝領する殿下渡領の一つで、保元の乱のあと藤原忠通が氏長者になったとき、大和国佐保殿・備前国鹿田庄・越前国方上庄・河内国楠葉牧の四ヵ所を渡領として継承したが、そのさい楠葉牧が所属する摂関家上厩の別当として、家司前河内守高階資泰が任じられ、当牧を知行している(「兵範記」保元元年七月一九日条)

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百科事典マイペディア 「楠葉牧」の意味・わかりやすい解説

楠葉牧【くすはのまき】

河内国交野(かたの)郡葛葉(くすは)郷(楠葉郷)に置かれた摂関家領の淀川左岸の現大阪府枚方(ひらかた)市の楠葉(くずは)一帯を占めたとみられる。10世紀末には存在していたが,成立事情は不明。11世紀初めには摂関家領となっており,保元の乱のあと藤原忠通(ただみち)が氏長者になったとき殿下渡(でんかのわたり)領として継承。その際摂関家御厩(うまや)別当に高階(たかしな)資泰が任じられて当牧を知行,その下に御厩舎人(とねり)がいて牧に下す馬を管理した。また現地には下司(げし)が置かれ,牧の住人で馬の放牧,飼養,管理に従事する寄人(よりうど)を差配した。摂関家の当牧支配は鎌倉時代にも続き,1342年九条道教(みちのり)が関白氏長者になったときの所領目録にも記載されている。楠葉牧は平安時代以来,土器の特産地としても知られた。楠葉近辺は古来良質の粘土を産し,平安初期には楠葉御園で供御(くご)土器が作られていた。のち《堤中納言物語》に〈楠葉の御牧につくるなる河内鍋〉が諸国名産の一つとしてあげられ,《梁塵秘抄》に〈楠葉の御牧の土器造り〉と詠まれるまでになる。鎌倉時代にも〈土器造りをもって業となす〉といわれるほど盛んであった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「楠葉牧」の意味・わかりやすい解説

楠葉牧
くすはのまき

河内国(かわちのくに)交野郡(かたのぐん)にあった牧。『和名抄(わみょうしょう)』にみえる葛葉郷(くすはごう)の地で、大阪府枚方市(ひらかたし)楠葉付近。摂関家氏長者(うじのちょうじゃ)が伝領する殿下渡領(でんかのわたりりょう)で、『小右記(しょうゆうき)』永観2年(984)11月~12月条によると、楠葉御牧司らが河内国司(こくし)と紛争を起こし、検非違使(けびいし)の発向を受けた。『御堂関白記(みどうかんぱくき)』の長和4年(1015)7月条に、播磨牧馬10疋が河内牧に放されたとあるが、楠葉牧のことか。同年9月には、藤原道長(みちなが)が楠葉牧にあった鐘を亡父兼家(かねいえ)の法興院(ほこいん)に懸けさせている。摂関家の家司(けいし)から任命された御厩(みまや)別当(べっとう)が牧を支配し、現地の牧司が牧を管理し、住人は馬の放牧・飼育などの実務にあたった。平安末期に当牧は河北(北条)と河南(南条)に分かれた。1094年(寛治8)には荘としてみえ、牧の住人は近隣の荘園に出作するなど耕作を進めたが、1162年(応保2)円成院領星田荘(ほしだのしょう)の住人等から年貢等を納めないと訴えられている。当地には内膳司(ないぜんし)領楠葉御園作手が居住し、平安時代から土器や河内鍋の名産地として知られた。鎌倉時代後半楠葉住人に麹(こうじ)を売買する者が現れ、販売権をもつ石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)境内杜郷(もりごう)から訴えられるなど、八幡宮の勢力が強まったが、南北朝期以後も河北・河南の両牧は存続した。

[小西瑞恵]

『西岡虎之助著『荘園史の研究』上巻(1953・岩波書店)』『枚方市史編纂委員会編『枚方市史』6・2巻(1968・1972)』『網野善彦他編『講座日本荘園史7』(1995・吉川弘文館)』

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世界大百科事典(旧版)内の楠葉牧の言及

【河内国】より

…領主別ではやはり石清水八幡宮と山門関係が多い。産業面では,摂関家の渡領として重要な楠葉牧(現,枚方市北部)を中心に土器の生産が盛んで,現在全国各地の中世遺跡から楠葉の土器が出土している。ことに禁裏料所楠葉御園で供御人(くごにん)の生産する土器皿は裏面に菊紋を押し,皇室に上納されるほか各地に流通し,民衆の間では〈河内鍋〉と呼ばれる土鍋が普及していた。…

【摂関家渡領】より

…渡領とは,特定の地位に付随して渡り伝えられる所領をいい,平安中期には天皇に代々伝えられる後院渡領が成立しており,そのほか太政官の官務渡領や局務渡領などもあるが,史上とくに有名なものは藤原摂関家の渡領である。藤原氏長者の渡領については,1017年(寛仁1)道長が頼通に氏長者を譲ったときの寛仁の渡文が存したことを示す記録があり,当時すでに大和国佐保殿,備前国鹿田荘,越前国方上荘,河内国楠葉牧の4ヵ所から成る渡領が成立していたことがわかる。その後この渡文は,〈荘々送文〉とか〈荘園渡文〉とよばれ,氏長者の交替ごとに,朱器台盤などとともに新長者に渡された。…

※「楠葉牧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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