星田村(読み)ほしだむら

日本歴史地名大系 「星田村」の解説

星田村
ほしだむら

[現在地名]交野市星田・藤が尾ふじがお一―六丁目・妙見坂みようけんざか一―七丁目・妙見東みようけんひがし一―四丁目・星田山手ほしだやまて一―五丁目・南星台なんせいだい一―五丁目・私市きさいち九丁目

私市村の西に位置する広域の村。北西部を東高野街道が通る。星田・大谷おおたにの二集落があるが、「五畿内志」は「大谷 星田・寝屋二村出戸」と記す。星田集落はさらに乾村・坤村・巽村・艮村・東村・西村・北村に分れる(大阪府全志)。地名は七曜星降臨の伝説に由来するという(同書)。平安―室町時代、当地には奈良興福寺別院円成院領星田庄、山城石清水いわしみず八幡宮大交野おおかたの庄星田郷などがあり、戦国時代には石清水八幡宮領星田庄として一二〇石の供米を八幡宮に納めた。当地の土豪和田氏は南北朝期には南朝方に属したという。戦国期には和田氏は一時交野城を本拠とする安見氏の配下となり、また三好長慶にも属したという。


星田村
ほしだむら

[現在地名]美星町星田

黒木くろぎ村の北西、星田川上流域の高原に位置する。北は黒忠くろただ村。文禄の役に際して、天正二〇年(一五九二)正月一一日に毛利輝元の差出した条々(写、武田金三氏所蔵文書)で、在々心付を命じられたなかに「干田」とある。寛永備中国絵図では高一千一七七石、松山藩領。正保郷帳では幕府領で、枝村に下谷しもたに谷山たにやま平松ひらまつ西にし岩崎いわさきの各村が載る。延宝五年(一六七七)検地帳(美星町役場蔵)では田方五八五石余・九一町一反余、畑屋敷二四九石余・六七町七反余で、田は下々田、畑は下畑・下々畑・切畑が多いのが特徴的である。


星田村
ほしだむら

[現在地名]富岡市星田

南境をかぶら川が東流し、東は後賀ごか村、北は白岩しらいわ村、西は君川きみかわ村、南は福島ふくしま(現甘楽郡甘楽町)田篠たじの村と接する。なお高田たかた川の古流跡古河ふるかわ堀が君川村から流れ、南部を東南流して鏑川に合している。近世はおおむね小幡藩領。寛文郷帳では田方一〇七石六斗余・畑方一四二石八斗余。文政前後の領内村々書上帳(松浦文書)によると田一二町三反二畝余・畑三一町五反二畝余、新田畑一六町六反三畝余(畑一六町四反七畝余)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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