すべて 

春日井梅鶯(読み)カスガイ バイオウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「春日井梅鶯」の解説

春日井 梅鶯(初代)
カスガイ バイオウ


職業
浪曲師

本名
安藤 金作

生年月日
明治38年 2月14日

出生地
千葉県 鶴舞

経歴
14歳で春日井梅吉に入門。師の勤めで翌年上京、富士松加賀太夫支配人を知り、春日井梅鴬の名で浪曲界に進出。昭和8年秩父重剛が東海林太郎のヒット曲「赤城子守唄」を浪曲化し、これを口演して一躍人気を得た。その後は「越後獅子祭り」「天野屋利兵衛」「南部坂雪の別れ」、さらに「地震加藤」「残菊物語」と次々ヒット。美声と明快な節回しで売った。戦後の25年日本浪曲協会会長となる。

没年月日
昭和49年 10月22日 (1974年)

家族
娘=春日井 梅鶯(2代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「春日井梅鶯」の解説

春日井 梅鶯(1代目)
カスガイ バイオウ

昭和期の浪曲師



生年
明治38(1905)年2月14日

没年
昭和49(1974)年10月22日

出生地
千葉県鶴舞

本名
安藤 金作

経歴
14歳で春日井梅吉に入門。師の勤めで翌年上京、富士松加賀太夫の支配人を知り、春日井梅鴬の名で浪曲界に進出。昭和8年秩父重剛が東海林太郎のヒット曲「赤城の子守唄」を浪曲化し、これを口演して一躍人気を得た。その後は「越後獅子祭り」「天野屋利兵衛」「南部坂雪の別れ」、さらに「地震加藤」「残菊物語」と次々ヒット。美声と明快な節回しで売った。戦後の25年日本浪曲協会会長となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春日井梅鶯」の解説

春日井梅鶯(初代) かすがい-ばいおう

1905-1974 昭和時代の浪曲師。
明治38年2月22日生まれ。春日井梅吉に入門。昭和9年秩父重剛が浪曲化した「赤城の子守唄」で名をたかめる。美声で「南部坂雪の別れ」など義士伝を得意とした。娘加寿子が2代目をついだ。昭和49年10月22日死去。69歳。千葉県出身。本名は安藤金作。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の春日井梅鶯の言及

【浪花節】より

… このように各派に名手が輩出して全国に流行した浪花節も,大正中期以後,落語,講談とともに映画の進出に圧倒されて衰退の傾向をたどっていたが,昭和時代にはいって,満州事変以後,太平洋戦争にかけて,国家主義的な時代風潮を背景にして,ふたたび隆盛の様相を呈した。この時期には,《壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)》の浪花亭綾太郎(1893‐1960),《佐渡情話》の寿々木米若(すずきよねわか),《天保水滸伝(すいこでん)》の2代玉川勝太郎,《清水次郎長伝》の2代広沢虎造,《紀伊国屋(きのくにや)文左衛門》の梅中軒鶯童(ばいちゆうけんおうどう),《赤城の子守唄》の春日井梅鶯(ばいおう)(1908‐74),《義士伝》の3代吉田奈良丸,《恩讐(おんしゆう)の彼方に》をはじめとする文芸浪曲の酒井雲(さかいくも)(1899‐1973),《唄入り観音経》の三門博(みかどひろし)(1907‐ ),《野狐三次(のぎつねさんじ)》の東家浦太郎(1919‐ ),《灰神楽(はいかぐら)三太郎》の相模(さがみ)太郎(1899‐1972),七色の声を使い分けた女流浪曲の雄2代天中軒雲月(伊丹秀子(いたみひでこ))など多くの人気者があらわれ,レコード,ラジオの普及,〈浪曲映画〉による映画とのタイアップなどによって,それ以前にも見られなかったほどに浪花節が大衆のなかに浸透していった。
[戦後の浪曲界]
 第2次大戦後は,軍事物や義士物など封建的演題への反動によって不振をきわめていたが,しだいに復活して,浅草国際劇場や明治座などの大劇場において浪曲大会を開催したこともあり,民間放送発足以来,大衆芸能の主要な種目としての座を獲得し,浪曲台本の専門作家も多く見られるようになり,一方,〈浪曲天狗道場〉のようなラジオ聴取者参加番組も製作された。…

※「春日井梅鶯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

すべて 

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android