天野屋利兵衛(読み)アマノヤリヘエ

関連語 大阪市史

精選版 日本国語大辞典 「天野屋利兵衛」の意味・読み・例文・類語

あまのや‐りへえ‥リヘヱ【天野屋利兵衛】

  1. 江戸中期の大坂商人赤穂藩主浅野家に出入りし、のちの義士討ち入りの際、兵器を調達したといわれる。実在疑問。「仮名手本忠臣蔵」では天川屋儀平の名で登場する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天野屋利兵衛」の意味・わかりやすい解説

天野屋利兵衛
あまのやりへえ
(1662ころ―1727)

江戸中期、大坂の侠客(きょうかく)的な商人。『仮名手本(かなでほん)忠臣蔵』の天川屋儀兵衛のモデルで、元禄(げんろく)事件の際、赤穂(あこう)浪士のため武具を調達し、のち自首して追放されたと伝えるが疑問。代々九郎兵衛を称し大坂北組惣年寄(そうどしより)を務めたが、4代利兵衛直之(なおゆき)は事件以前の1695年(元禄8)に罷免されている。また当時天野屋は岡山池田家、熊本細川家の御用を調達していたが、浅野家との経済的な関係はなかった。

[北原 進]

『『大阪市史 第1巻』(1965・清文堂出版)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天野屋利兵衛」の解説

天野屋利兵衛 あまのや-りへえ

?-1727 江戸時代前期-中期の商人。
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の天河屋義平のモデルとされる。赤穂(あこう)浪士のために武器を調達し,捕らえられて拷問をうけたが,白状しなかったという。しかし,大坂の惣年寄をつとめた同名の人物は,赤穂藩主浅野家とは関係がなく,史実上この話には疑問がある。享保(きょうほう)12年1月27日死去。名は直之。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天野屋利兵衛」の意味・わかりやすい解説

天野屋利兵衛
あまのやりへえ

[生]?
[没]享保12(1727)
江戸時代中期の大坂商人。大坂北組の名主で,播磨浅野家に出入りし,赤穂義士討入りに際し,武具を調達し,のち自首して追放されたといわれる。 (→赤穂事件 )

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