時の鐘跡(読み)ときのかねあと

日本歴史地名大系 「時の鐘跡」の解説

時の鐘跡
ときのかねあと

[現在地名]中央区日本橋室町四丁目

本石ほんごく町三丁目に江戸市中で最初に設置された時の鐘。天正一八年(一五九〇)の徳川氏関東入部後は江戸城内の鐘楼堂が明六つ暮六つ時に時の鐘をつき、町方の便宜にもなっていたが、二代将軍徳川秀忠のとき鐘鳴が御座の間に大きく響くため、城内では鐘を廃し太鼓を用いることとなった。同時に時の鐘廃止が町方に不便をきたさないよう、町内に場所を見立てて鐘をつかせることとなり、こく(本石町)に時の鐘が設置され、昼夜一二時に時を告げた(落穂集追加)。「武江年表」には元和五年(一六一九)鋳物師長谷川豊前が西久保にしくぼ八幡(現港区)境内に時の鐘を草創し、これは延宝年中(一六七三―八一)しば切通し(現同上)へ移ったとあり、本石町の時の鐘はそれより少し早い元和年中に設置されたと推察される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む