暇修館跡(読み)かしゆうかんあと

日本歴史地名大系 「暇修館跡」の解説

暇修館跡
かしゆうかんあと

[現在地名]日立市大久保町四丁目 中城

大窪おおくぼ城跡の中心部中城の常光なかじようのじようこう寺跡にあった水戸藩郷校の一つ。初め興芸こうげい館といい、医学教育の教場として天保一〇年(一八三九)に建てられた。初代館守の郷医大窪光茂の同一一年の手記(大窪啓司家文書)に「南北之医生悉集会仕、学術研究致候興芸館是なり」とあり、同年の長嶋尉信著「載水漫筆」には「其地ハ東西十五間、南北十三間、(中略)東の方南北十三間の間に小堤をきつき、玄関にむかふ処を開て衡門を建てたり。南東西十五間が間ハ自然の形勢古城のふる塁を用ひたり」と記す。

天保一五年暇修館と改称され、そのときの集会への参加者について、二代館守菅政友の弘化四年(一八四七)の手記「暇修館の旧言」(宮田照子家文書)に「書院の内に居あまりて、さしもひろき広庭に、ところせまき迄なみ居たり。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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