日本歴史地名大系 「暇修館跡」の解説
暇修館跡
かしゆうかんあと
天保一五年暇修館と改称され、そのときの集会への参加者について、二代館守菅政友の弘化四年(一八四七)の手記「暇修館の旧言」(宮田照子家文書)に「書院の内に居あまりて、さしもひろき広庭に、ところせまき迄なみ居たり。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
天保一五年暇修館と改称され、そのときの集会への参加者について、二代館守菅政友の弘化四年(一八四七)の手記「暇修館の旧言」(宮田照子家文書)に「書院の内に居あまりて、さしもひろき広庭に、ところせまき迄なみ居たり。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...