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郷士 ごうし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

郷士
ごうし

江戸時代,城下町に住む武士に対して,農村に居住する武士をいった。本来,諸藩の家臣は兵農分離によって城下町に住むべきものとされていたが,農民支配の末端機構として郷士を利用する藩も少くなかった。また,財政難のために藩士を帰農させることもあり,新田開発に郷士を動員することもあった。郷士は地方によって呼び名が異なっており,薩摩藩の外城家中や土佐藩の一領具足,紀州藩の地士,藤堂藩の無足人などがその例である。その存在形態も異なるが,一般的に郷士は城下町の武士よりも身分的に低いものとされた。明治維新後は士族に編入された。

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デジタル大辞泉の解説

ごう‐し〔ガウ‐〕【郷士】

江戸時代、武士の身分のまま農業に従事した者。また、武士の待遇を受けていた農民。平時は農業、戦時には軍事に従った。郷侍(ごうざむらい)。

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百科事典マイペディアの解説

郷士【ごうし】

江戸時代,城下に居住した家中武士に対し,おもに郷村に定住して士以外の業に従いながら武士としての待遇を受けた階層の総称。戦国時代からの遺制として,また新規大名が旧族大名の遺臣を懐柔し,農村支配を円滑にするために特異な階層として残した初期郷士(高知・鹿児島藩)がある。
→関連項目外城制度八王子千人同心人吉藩山科

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世界大百科事典 第2版の解説

ごうし【郷士】

江戸時代の武士は城下町居住を原則としていたが,これ以外に農村居住を原則としながら百姓ではなく,しかも武士的身分を与えられていたものが全国的に少なからず存在しており,これらを郷士と総称する。しかし,城下町に居住すべき正規の武士でありながら一時的に郷村に居住しているもの,また大藩陪臣で主人の知行地に住んでいるものなどは郷士といわない。郷士は正規の武士より一段低い身分ではあったが,農民よりは上位の身分で,領内支配のかなめとなる場合もあった。

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大辞林 第三版の解説

ごうし【郷士】

江戸時代、農村に居住した武士。また、由緒ある旧家や名字帯刀を許された有力農民を指すこともある。後期には献金によって郷士となる者が多くなった。郷侍。金納郷士。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

郷士
ごうし

江戸時代、農村に住んだ武士。基本的要件は家臣団の一員で、知行を宛行(あてが)われ、軍役を負担したが、城下士身分とは別の武士身分であること。農村に住んでいても一時的に滞在する城下士や、富裕農民のうち苗字(みょうじ)帯刀を許され、郷士株を購入して武士身分となった者などは含まれない。名称は異なるが、こうした武士は水戸、大垣、阿波(あわ)、土佐、熊本、人吉、鹿児島、対馬(つしま)など全国に存在した。ことに四国、九州の外様(とざま)藩に多く、とくに鹿児島(薩摩(さつま))藩は外城制(とじょうせい)(1783年外城を郷と改称)があって、人員が多いばかりでなく、構成比も高く(住民の2割程度)、藩政における役割は際だって大きかった。同藩では戦国期から近世初期にかけて、島津氏の家臣は大名の政策で移動し、境界地域には大名に信頼された部将が配置され、衆中(しゅうじゅう)として領内各地に住んだ。農村に住んだ武士は、時代とともに農村生活に溶け込んで農耕にかかわり半農半士となった。元禄(げんろく)年間(18世紀)以降、治安が安定化し、本城の城下を中核として身分の序列化が進むと、本城の城下に住んだ武士は城下士身分、農村に住んだ武士は郷士(1780年衆中は郷士と改称)身分に分けられた。1786年(天明6)、城下士と郷士身分間の婚姻が禁じられ、両者の間に身分的上下関係が生まれた。郷士の多くは麓(ふもと)集落に集住し、実態としては農民だったが支配身分意識が強く、農村では優勢者も多くいて、村役人や地主となった地域統治者も多かった。1872年(明治5)太政官布告により士族とされて、郷士の称は廃止された。1914年(大正3)戸籍法上身分登記制が廃止された際、士族の称が消滅した。[三木 靖]

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世界大百科事典内の郷士の言及

【家中】より

…したがって家中とは,日本において封建的な家制度が完成したといわれるこの時代に,そのの構成員全体をよぶ場合に用いられた擬制的な同族呼称のことなのである。【鈴木 国弘】
[近世]
 江戸時代には一藩内の城下居住の武士を,郷村居住の武士である郷士に対して,家中と称したが,広義には両者を合わせて家中と総称した。藩という公称を欠いた江戸時代には家中が藩または藩士の総称の意味にも使われた。…

【土佐藩】より

…忠義の三男一安は江戸に麻布山内家を興し,子孫は本藩収納米のうちから1万石を分与されて,定府(じようふ)大名の土佐新田藩主となった。土佐藩士の身分は,家老,中老,馬廻(うままわり),小姓組,留守居組,郷士,用人,徒士(かち),足軽,武家奉公人等に分かれ,留守居組以上を上士(じようし),郷士以下を下士(かし)と称したが,のちその中間に白札身分が派生した。上士のほとんどは,藩祖一豊に従って来国した家系を誇り,高知の郭中に集住した。…

【肥後国】より


[人吉藩領]
 人吉藩は1589年から人吉城築城にとりかかり,球磨川を挟んで城下町を形成した。人吉藩では武士の全部が城下町に集住せず,城下町のほか14外城に知行士,徒士(かち)の居住がみられたほか農村に郷士の居住がみられ,宝暦・明和の際(1760年代)農村人口の36%が郷士,諸奉公人であった。人吉藩は表高2万2100石であるが実高は5万2900石で財政は裕福であった。…

【無足人】より

…【藤木 久志】(2)近世には切米取(きりまいとり),扶持米取(ふちまいとり)の下級武士をさす場合が多い。また伊勢津藩や近江甲賀郡では郷士的な上層農民を無足人といった。これとは逆に肥前唐津藩では水呑百姓を意味していた。…

※「郷士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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