郷校(読み)きょうこう(英語表記)hyanggyo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

郷校
きょうこう
hyanggyo

朝鮮,高麗朝鮮王朝 (李朝) 時代の地方文廟とそれに付属した教育機関。別名は校宮,斉宮。高麗朝の仁宗5 (1127) 年,諸州における学校設立に始る。朝鮮王朝時代には太祖1 (1392) 年に諸道按察使に命じ,学校の興廃によって地方官の考課法とするなど,その振興に努めた。府,牧,郡,県に各1校ずつ設立し,地方のヤンバン (両班)郷吏の子弟を収容した。郷校には孔子をまつる文廟,学を講じる明倫堂,中国,朝鮮の学者をまつる東西両廡,学習所の東西両斉があった。郷校の儒生数は府・牧 90,都護府 70,郡 50,県 30とし,都護府以上に教授,訓導各1名,郡以下に訓導各1名をおき,国家から学田5~7結が支給され,そのほかに地方民からの醵金,または買収した土地を所有することも少くなかった。しかし朝鮮王朝中期以後,書院の発達によって郷校は衰微し,高宗 31 (1894) 年科挙制度が廃止されると教育機関としての機能はほとんど失われ,文廟をまつるだけであった。のち日本の統治時代には,総督府令により府尹,郡守の監督下におかれた。 1918年になお 335校の郷校があった。

郷校
ごうこう

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世界大百科事典 第2版の解説

きょうこう【郷校】

朝鮮,高麗・李朝時代に地方郡県に設けられた国立の儒学学校。日本の郷校(ごうこう)とは性格をまったく別にする。1127年高麗の仁宗が諸州に学を建てたことに始まる。1392年李朝の太祖は即位後すぐに学校の興廃を地方長官の成績評価基準とし,以後全国各地に郷校を普及・設置させた。郷校は孔子以下の先聖先賢をまつる文廟,明倫堂(講堂),東西の両斎(勉強室)を備え,一定の耕地を学田として給付され,それぞれ30~90名の校生を定員と定めた。

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大辞林 第三版の解説

きょうこう【郷校】

村里の学校。
中国、周代の学制で郷に置かれた小学。庠序しようじよ。郷学。

ごうこう【郷校】

江戸時代、藩や代官によって設けられた教育機関。藩校の分校的な性格のものと庶民教育を目的としたものとがあった。岡山藩の閑谷学校、摂津平野の含翠堂、美作久世代官の典学館など。郷学。

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精選版 日本国語大辞典の解説

きょう‐こう キャウカウ【郷校】

〘名〙
① 中国古代の学制で、郷(きょう)に置いた学校。周では庠(よう)といって、地方小学の一つであった。郷学。〔春秋左伝‐襄公三一年〕
村里の学校。地方的な私学。
※随筆・胆大小心録(1808)二五「大坂の学校とは潜上(せんしゃう)な名目、郷校でも過ぎた事よ」
※夜明け前(1932‐35)〈島崎藤村〉第一部「水戸領内の郷校に学んだ子弟が」

ごう‐こう ガウカウ【郷校】

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世界大百科事典内の郷校の言及

【李朝美術】より

…その自由奔放な装飾・造形は,民族的な色合いを濃く表現したものといえよう。李朝では儒教が奨励され,孔子をまつる廟と郷校(きようこう)(学校)を付属させた文廟が各地の都邑に建てられた。これらの郷校では,儒者のうち中央官庁に入れなかった人々が教師になり子弟を教育した。…

【郷学】より

藩学(藩校)とも寺子屋とも異なる教育機能を示す学校である。郷学所,郷校,郷黌などともいう。明治の〈学制〉頒布後に設立された小学校にその機能を継承したものが多い。…

※「郷校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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