日本歴史地名大系 「曲沢村」の解説 曲沢村まがりさわむら 秋田県:由利郡由利町曲沢村[現在地名]由利町曲沢子吉(こよし)川中流右岸にあり、南は前郷(まえごう)村、北は小山を隔てて鮎瀬(あゆせ)村(現本荘市)に接する。慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に滝沢領の一村として村名があり、正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に一七九石、元禄一一年(一六九八)の出羽国由理郡之内村高帳にも、ほぼ同じ高が記される。貞享四年(一六八七)本荘藩家老村岡源之進の手で開発が進められているが、詳細は不明。天保郷帳に三五四石九斗八升七合とあり、「羽後国由利郡村誌」にみえる村内の大堤(おおづつみ)・曲沢堰が新開に役立ったと思われる。 曲沢村まがりさわむら 群馬県:佐波郡赤堀町曲沢村[現在地名]赤堀町曲沢香林(こうばやし)村の南、早(はや)川右岸に位置。西は西久保(にしくぼ)村、南は国定(くにさだ)村(現東村)。寛文郷帳では高一二七石余、うち田方二〇石余・畑方八五石余・林高二〇石余、旗本牧野領。近世後期の御改革組合村高帳では幕府領、家数二七。「天保巡見日記」天保九年(一八三八)四月一七日条によると、巡見使は間野谷(あいのや)村から当村に入っており、「地味砂多く貧村とミゆ」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by