書上順四郎(読み)かきあげ・じゅんしろう

朝日日本歴史人物事典 「書上順四郎」の解説

書上順四郎

没年:明治45.3.25(1912)
生年弘化4.5(1847)
明治期の実業家。高草木慎平の3男として上野国(群馬県)山田郡大間々に生まれ,明治3(1870)年に同郡桐生の書上謙三の養子となる。生糸商を営んでいたが,帰国した渋沢喜八の求めに応じて,13年に横浜の有力生糸売込問屋である渋沢商店の支配人就任した。20年ごろ,一時これを辞して上野国倉賀野に光監社を設立して製糸業を営んだ。その後22年に渋沢栄一要請により再び渋沢商店の支配人となり,これ以降一貫して同職を務め,横浜生糸商業界の「顔役」となった。栄枯盛衰の激しい斯界での渋沢商店の発展は,書上の尽力によるところが大きい。その傍ら,横浜火災運送保険,横浜蚕糸外四品取引所の設立に奔走,両社の監査役も務めた。<参考文献>森田忠吉編『横浜成功名誉鑑』

(松本貴典)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「書上順四郎」の解説

書上順四郎 かきあげ-じゅんしろう

1847-1912 明治時代の実業家。
弘化(こうか)4年5月生まれ。明治初年横浜の保険・荷為替業渋沢商店の地方主任となる。13年同商店の生糸売り込み問屋支配人に就任。一時辞したが,43年までつとめた。また横浜火災保険などの創立に尽力。明治45年3月25日死去。66歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身旧姓は高草木。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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