朝日日本歴史人物事典 「書上順四郎」の解説
書上順四郎
生年:弘化4.5(1847)
明治期の実業家。高草木慎平の3男として上野国(群馬県)山田郡大間々に生まれ,明治3(1870)年に同郡桐生の書上謙三の養子となる。生糸商を営んでいたが,帰国した渋沢喜八の求めに応じて,13年に横浜の有力生糸売込問屋である渋沢商店の支配人に就任した。20年ごろ,一時これを辞して上野国倉賀野に光監社を設立して製糸業を営んだ。その後22年に渋沢栄一の要請により再び渋沢商店の支配人となり,これ以降一貫して同職を務め,横浜生糸商業界の「顔役」となった。栄枯盛衰の激しい斯界での渋沢商店の発展は,書上の尽力によるところが大きい。その傍ら,横浜火災運送保険,横浜蚕糸外四品取引所の設立に奔走,両社の監査役も務めた。<参考文献>森田忠吉編『横浜成功名誉鑑』
(松本貴典)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報