最仁法親王(読み)さいにんほうしんのう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「最仁法親王」の解説

最仁法親王 さいにんほうしんのう

1231-1295 鎌倉時代,土御門(つちみかど)天皇皇子
寛喜(かんぎ)3年生まれ。寛元元年出家し,尊覚法親王に師事梶井門跡(もんぜき)をつぎ,弘長(こうちょう)3年天台座主に任じられた。永仁(えいにん)3年2月22日死去。65歳。通称は中山宮。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む