日本歴史地名大系 「有馬セミナリオ跡」の解説
有馬セミナリオ跡
ありませみなりおあと
戦国期から近世初頭にかけて置かれたイエズス会の神学校の跡。天正八年(一五八〇)六月城下の有馬の町には有馬晴信の援助によりセミナリオ(神学校)が開設されているが、これは前年に来日したイエズス会巡察師ヴァリニャーノがヨーロッパの学校制度を取入れた機関として豊後にコレジオ(大学)、ミヤコとシモにセミナリオを創設することを長崎での協議会で決定したことを受けたものとされる。このシモのセミナリオは同一五年までは
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報