有馬セミナリオ跡(読み)ありませみなりおあと

日本歴史地名大系 「有馬セミナリオ跡」の解説

有馬セミナリオ跡
ありませみなりおあと

[現在地名]北有馬町西正寺名

戦国期から近世初頭にかけて置かれたイエズス会の神学校の跡。天正八年(一五八〇)六月城下の有馬の町には有馬晴信の援助によりセミナリオ(神学校)が開設されているが、これは前年に来日したイエズス会巡察師ヴァリニャーノがヨーロッパの学校制度を取入れた機関として豊後コレジオ(大学)ミヤコとシモにセミナリオを創設することを長崎での協議会で決定したことを受けたものとされる。このシモのセミナリオは同一五年までは日野江ひのえ城下にあり、一五八四年の日本年報(イエズス会日本年報)に「日ノ江と称する有馬の城があり、ここに有馬殿が居住している。口之津から二レグワで、ここにシモの地方のセミナリオがあり、貴族子弟が多数入学している」と記される。天正一〇年の本能寺の変のあと転々としていた安土あづちセミナリオも有馬セミナリオに吸収された。このセミナリオの想像図が一五九六年にローマで刊行された「教皇グレゴリヨ一三世偉業要略」に収載される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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